TOP > スポンサー広告 > upiTOP > 未分類 > upi

スポンサーサイト --.--.--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

upi 2008.09.07

ピート・ドハーティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ピート・ドハーティ

基本情報
出生名 Peter Doherty
出生日 1979年3月12日(29歳) イングランドen:Hexham
出身地 イングランド、ロンドン
ジャンル オルタナティブ・ミュージック、ガレージロック
職業 ミュージシャン、ソングライター
担当楽器 シンガー、ギター、ハーモニカ
活動期間 2001年 - 現在
共同作業者 ザ・リバティーンズ、ベイビー・シャンブルズ
公式サイト
The Libertines.org.uk
Babyshambles.net
表・話・編・歴


ピーター・ダニエル・ドハーティ(Peter Daniell Doherty 、1979年3月12日-)は、イギリス出身のミュージシャン、詩人。現在はベイビー・シャンブルズのボーカリスト、ソングライターであるが、かつてカール・バラーとともに結成していたザ・リバティーンズでの音楽活動によって最もよく知られている。スーパーモデルのケイト・モスとの交際や、周知のところとなった薬物問題などによって、タブロイド紙やニュース・メディアを大々的に賑わせることとなった。目次 [非表示]
1 幼少期
2 経歴
2.1 ザ・リバティーンズ
2.2 コラボレーション
2.3 ベイビーシャンブルズ
2.4 ゲリラ・ギグ、執筆とソロ作品
2.5 モデル活動
3 薬物中毒と法的問題
4 影響
5 家族と個人的生活
6 ディスコグラフィ
6.1 ザ・リバティーンズでのアルバム
6.2 ベイビーシャンブルズでのアルバム
6.3 ソロ・アルバム
6.4 シングル
7 ビブリオグラフィ
8 脚注
9 外部リンク



2007年4月12日、ピート・ドハーティとカール・バラーはロンドンのハックニー・エンパイア劇場でふたたび共演した[16]。ドハーティのギグ "An Evening with Pete Doherty" のセカンド・セットにバラーがゲスト出演し、13曲をともに演奏したのである。再結成リバティーンズは "What a Waster" 、 "Death on the Stairs" 、 "The Good Old Days" 、 "What Katie Did" 、 "Dilly Boys" 、 "Seven Deadly Sins" 、 "France" 、 "Tell the King" 、 "Don't Look Back into the Sun" 、 "Dream a Little Dream of Me" 、 "Time for Heroes" 、 "Albion" 、 "The Delaney" の全13曲を演奏した。

[編集]
コラボレーション

リバティーンズの解散に先立ち、ドハーティは友人でウルフマン名義のミュージシャンでもある詩人ピーター・ウルフとコラボレートしている。2人は2004年にシングル "For Lovers" をレコーディングしてチャートのトップ10入りを果たし、同年4月には7位を記録した。このシングルはイギリスの権威ある音楽賞「アイヴァー・ノヴェロ賞」 (Ivor Novello Awards) にノミネートされるほど成功した[17]にもかかわらず、ドハーティとウルフマンは比較的小額の収入しか得ることができなかった。すでにこの曲の版権をパブで安く売り払っていたためである[18]。

2004年後半、ドハーティはイギリスの女性エレクトロニカ・デュオ、クライアント (Client) の楽曲 "Down to the Underground" にゲスト・ヴォーカルとして参加した。この曲はシングル "In It for the Money" のB面として2004年6月にリリースされ[19]、クライアントのセカンド・アルバム "City" に収録された。

2005年にはイギリスのロック・バンド、リトランズ (Littl'ans) ともシングル "Their Way" で共演した[20]。

2006年、ドハーティはストラマーヴィル(Strummerville 、ジョー・ストラマーの遺族と友人によって設立された、新しい音楽の創出や才能の発掘のための慈善団体)の運営資金募集のためのチャリティー・シングル "Janie Jones" に出演した。この曲には、他にもダーティ・プリティ・シングス、ウィー・アー・サイエンティスツ (We Are Scientists) 、ザ・クークス (The Kooks) 、ザ・ホロウェイズ (The Holloways) など多くのアーティストが出演している。

2006年8月には、ザ・ストリーツ名義で活動しているヒップホップ・アーティストのマイク・スキナーとドハーティが、ストリーツのアルバム "The Hardest Way to Make an Easy Living" の収録曲 "Prangin' Out" の新ヴァージョンをレコーディングしていると報じられた[21]。

[編集]
ベイビーシャンブルズ

詳細はベイビーシャンブルズを参照

ドハーティは、リバティーンズでの活動の終わりごろにベイビーシャンブルズを結成した。このバンドは2枚のスタジオ・アルバム『ダウン・イン・アルビオン』("Down in Albion" 、2005年11月)と『ショッターズ・ネイション』("Shotter's Nation" 、2007年10月)をリリースした。ツアーのスケジュールや作品のリリースも立てられたが、ドハーティがたびたび起こす法的問題によりしばしば中断された。バンドのラインナップも何度か変更されている。ドラマーのジェマ・クラークがドハーティの麻薬問題によってバンドを去り、アダム・フィセクが後任となった。またギタリストで共同作曲者のパトリック・ウォールデンもバンドを離れてミック・ウィフィナルが後を継いだ。

2006年8月、ベイビーシャンブルズはメジャー・レコード・レーベルのパーロフォンと契約し、2006年12月9日に "The Blinding EP" をリリースして高い評価を得た[22]。その後2007年1月にはパーロフォンとの長期レコード契約にサインした[23]。

2007年11月にベイビーシャンブルズははじめてのアリーナ・ツアーを行ない、マンチェスターのMENアリーナやノッティンガム・アリーナ、ボーンマス・インターナショナル・センター、ロンドンのウェンブリー・アリーナ、バーミンガムのナショナル・インドア・アリーナなどで演奏した[24]。

[編集]
ゲリラ・ギグ、執筆とソロ作品

ドハーティは新しいアコースティック作品に着手しており、すでにインターネットでダウンロード可能となっている多数の未発表曲に似たものになると噂されている[要出典]。彼は単独で、また時にはバンドを引き連れて小さな会場で予告なしに演奏するという、リバティーンズ以来続けているゲリラ・ギグをしばしば行なう[25]。2005年の大晦日に北ロンドンの自分のフラットで行なったゲリラ・ギグでは、ソロ作品をいくつか公開し、その多くが後にインターネットに流出した[15]。2006年の3月31日および4月1日には、1月に行なう予定であったライヴが取り止めになったのを受けて、ヨーロッパ本土では初となる単独ギグを2ヵ所で行なったが、その場所はオーストリア、グラーツのポルノ映画館 "NonStop Kino" であった。これを機に、ドハーティは友人で "NonStop Kino" の所有者でもあるベッティナ・アイヒバウアーの提案で、自分の演奏中にスクリーンに映し出すための映像作品 "Spew It Out Your Soul" を制作した[26]。

2006年6月、ドハーティは自分の日記を出版するためにオリオン・ブックスと契約したと発表した。この本は彼がこれまでに書いた詩や絵画、写真などを収めたものである[27]。ドハーティの日記の多くはインターネットから自由に入手することが可能となっている[28]。 "The Books Of Albion: The Collected Writings of Peter Doherty" と題されたこの本は2007年6月21日に刊行された[29]。

[編集]
モデル活動

モデルであると同時に元フィアンセであったケイト・モスに倣い、ドハーティはロベルト・カバリの2007/08年秋冬シーズンのファッション広告キャンペーンのモデルを務めた。このときの写真はドハーティを普段以上に小奇麗かつハンサムに写したものとして評判を呼んだ。この1950年代風の写真は故マーロン・ブランドのイメージとも比較された[30]。

[編集]
影響

インタビューにおいて、ドハーティは愛読書としてジョージ・オーウェル『1984年』、グレアム・グリーン『ブライトン・ロック』、ジャン・ジュネ『花のノートルダム』、シャルル・ボードレール『悪の華』、オスカー・ワイルドの全集などを挙げている[32]。また影響を受けた人物としてエミリー・ディキンソンやコメディアンのトニー・ハンコックなどにも触れている。ドハーティと彼の父はトニー・ハンコック鑑賞協会のメンバーだったこともある。ドハーティは初期の曲 "You're My Waterloo" でハンコックに言及し、ハンコックの名台詞 'Stone me!' への仄めかしを含ませている。しかし、文学や音楽に関する言及はドハーティが現在継続中の "Books of Albion" においてより多く見ることができる。彼はロマン派の詩人や、アルベール・カミュやミゲル・デ・ウナムーノといった実存主義的な思想家に対して特に重要性を置いている。またマルキ・ド・サドやトマス・ド・クインシーの作品についても触れている。ベイビーシャンブルズのアルバム『ダウン・イン・アルビオン』には "A Rebours" と題された曲が収録されているが、これはジョリス=カルル・ユイスマンスの同名の小説『さかしま』 ("A rebours") からの強い影響下にある[33] [34]。好きな映画は『うそつきビリー』("Billy Liar" 、ジョン・シュレシンジャー監督、1963年)、『夜空に星のあるように』("Poor Cow" 、ケン・ローチ監督、1967年)、『オー!ラッキーマン』("O Lucky Man!" 、リンゼイ・アンダーソン監督、1973年)、映画版 "Steptoe and Son" (クリフ・オーウェン監督、1972年)といった1960年代から70年代にかけての作品である[32]。音楽的な影響としては、ザ・ラーズのリー・メイヴァースやジ・オンリー・ワンズ (The Only Ones) 、ニューヨーク・ドールズ、ザ・ストゥージズ (The Stooges) 、バズコックス、チャス・アンド・デイヴ (Chas & Dave) などを挙げている[35]。中でも特に好んでいるのはザ・スミスとザ・クラッシュである[36] [37]。

またドハーティはザ・パディントンズ[18] (The Paddingtons) やザ・ビューといった将来有望なイギリスのバンドへの支援も行なっている[38]。

さらにドハーティはサッカークラブ、クイーンズ・パーク・レンジャーズの熱烈な支持者としても知られており、若いころには "All Quiet on the Western Avenue" と題したファン雑誌を刊行していたほどである[33]。彼はこの雑誌をクラブのグラウンドで売り歩いたが、文学的な引用や詩やサッカー物語を混ぜ合わせたこの雑誌は、他のファンのあいだでは不評に終わった。

ドハーティがしばしば用いる詩的テーマの1つに、グレートブリテン島の古名である「アルビオン」がある。ドハーティは、規則も権力もない理想郷アルカディアへ向けて航海する船の名前としても「アルビオン」の名を用いている。ドハーティとバラーは、ロンドンのベスナル・グリーン、ティーズデール通り112aにあったフラットをシェアしていたが、この部屋は愛着を込めて「アルビオン・ルームズ」と名づけられていた(どちらかといえば荒れ放題ではあったが)。ドハーティは、詩やその他に思いついたことを書きとめた日記にも "Books of Albion" との表題を冠している[39]。



ドハーティはケイト・モスと交際し、しばしばプレスの報道の種となって世間を騒がせた。2人は2005年1月、モスの31回目の誕生日に出会い、それ以来くっついたり離れたりを繰り返す関係をもってきた。モスはドハーティのショーでときおり歌ったりもしている[41]。2007年4月11日、モスも出演したロンドンのハックニー・エンパイア劇場におけるドハーティ初の単独ギグの公演中、彼はモスを自分のフィアンセとして発表した[42] [43]。ドハーティは2007年の夏のあいだにモスとの結婚を予定していた[44]。しかし、2007年7月以降2人は関係を解消している[45]。

2007年の10月に、ドハーティはファッション・モデルのイリナ・ラザレアヌとごく短期間ながら婚約していた[46] [47]。

ドハーティには、歌手のリサ・ムーリッシュ (Lisa Moorish) との間にアスタイルという名の息子がいる[2][33]。

[編集]
ディスコグラフィ

[編集]
ザ・リバティーンズでのアルバム

詳細はザ・リバティーンズを参照
2002年『リバティーンズ宣言』 ("Up the Bracket") イギリス35位、フランス120位
2004年『リバティーンズ革命』 ("The Libertines") イギリス1位、アメリカ111位、フランス27位

[編集]
ベイビーシャンブルズでのアルバム

詳細はベイビーシャンブルズを参照
2005年11月14日『ダウン・イン・アルビオン』 ("Down in Albion") イギリス10位
2007年10月1日『ショッターズ・ネイション』 ("Shotter's Nation") イギリス5位、フランス17位

[編集]
ソロ・アルバム
2008年夏 デビュー・ソロ・アルバム[48]

[編集]
シングル
2004年4月12日 "For Lovers" (Wolfman featuring Pete Doherty) イギリス7位
2005年10月17日 "Their Way" (en:Littl'ans featuring Pete Doherty) イギリス22位
2006年9月25日 "Prangin' Out" (The Streets featuring Pete Doherty) イギリス25位



[編集]
ビブリオグラフィ
2007年 "The Books of Albion: The Collected Writings of Peter Doherty" (Orion Books; ISBN 0-752-88591-X)
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
«  | ホーム |  »
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。